TEE〜往年の名列車〜


1 ビスカニアのTEE

ビスカニアではかつて、フランスやスペインといった隣国との間で国際特急列車であるTEEを運行していた。

特にパリ〜ガスコーニャの「フライング・ビスカニアン」はフランスとビスカニアの両首都を結ぶこともあり、ヨーロッパを代表する名列車として名を馳せた。
これらは廃止から30年以上経った今でも伝説として語り継がれている。


ちなみにTEEとはどんな列車なのか。以下ではTEEについて述べる。


2 TEEとは

1950年代、鉄道は自動車(高速道路)や航空機との競争に晒されるようになった。それらに対抗するため誕生した国際列車群がTEE(Trans Europ Express)である。

TEEは主に以下のような特徴を持つ。
①運行面
・出入国管理や税関検査などの手続きは車内で走行中に行える。国境駅での長時間停車は不要
・始発駅と終着駅を日帰りで往復できるダイヤ
②車両面
・最高速度140km/h以上。また16‰の上り勾配を70km/hで走れる
・電化方式の異なる複数の国を走れるよう気動車とすることで機関車の付け替えを省く。非電化路線も走れて一石二鳥
・客席は全車一等車(現代日本のグリーン車相当)。当時航空運賃は高額で、二等車(現代日本の普通車相当)の客が航空機に流出する心配はなかった
・ゆったりした横3列の座席(車体幅は日本国鉄とほぼ同等)。また騒音も抑える
・食堂車を連結するか、ケータリングサービスを可能にする厨房設備を設けて温かい食事の提供を可能にする

TEEに用いられる車両は赤とクリーム(orベージュ)のツートン塗装で前頭部にTEEエンブレムを付け、側面に"TRANS EUROP EXPRESS"ロゴを表記してブランドイメージの統一とアピールを図った。
図のビスカニア国鉄車も例外ではない。

特急料金はTEE専用の体系となっていた。またビジネス客をターゲットにしていたため小人料金の設定はなく、殆どの割引制度も対象外だった。

全車一等車ということもあり、TEEはまさに「特別な急行」であった。

これらの特徴を持つTEEの構想はオランダ国鉄総裁E.Q.デン・ホランダーにより1953年に提唱された。彼は500km程度の距離であれば鉄道は航空機に対し優位に立てると考えていたのである。

翌1954年のヨーロッパ時刻表会議でTEEの運行に各国国鉄が合意した。そして1956年のヨーロッパ時刻表会議で、翌1957年より以下14列車を運行すると正式に決定した。

「ヘルヴェティア」「エーデルヴァイス」を除けば始発駅と終着駅を日帰りで往復できるダイヤになっていた。

殆どは気動車だが、フランスとビスカニアは電化方式が共通であり制約が少ないためこの両国を結ぶ2列車は電車である。


そして「日帰りできる」国際特急は多忙なビジネス客を中心に人気を博した。
さらに1961年にスイス国鉄RAe TEE Ⅱ系電車が登場するなど、TEE誕生後にも新形式が生まれた。好評を受け、増発や長編成化も進む。

こうして航空機などと競争を繰り広げたTEEだが、やがて陰りが見られるようになる。

航空機のジェット化による速度向上や省コスト化による運賃値下げ、さらに高速道路網の整備などでライバルに押され始める。鉄道も高速列車で対抗する方針にシフトするようになり、1981年にはフランスで本格的な「新幹線」であるTGVがデビューした。

更に70年代に入ると、二等車を連結したインターシティへの転換が進むなど国際列車も大衆化していく。1987年にはTEEの後継列車としての性格が強いユーロシティも登場した。

こうしてTEEは本数を減らしていき、1988年の「ゴッタルド」廃止により実質的に消滅した。


しかしながら、廃止から30年が経過した今でもTEEは人々の記憶に残っている。動態保存されているスイス国鉄RAe TEE Ⅱ系電車をはじめ保存車も存在する。

またヨーロッパだけでなく日本の鉄道ファンにも根強い人気を誇る。私もいつか見に行きたいものだ。